


- タイマッサージセラピスト育成のため、タイのワットポーというマッサージスクールに、OLをやめてタイセラピストに転職する決意をした21才のA子を派遣した時のお話です。
- このA子、一ヵ月後に帰国してから私に泣いて訴えるのです。「エーンエーン、同期生にバカにされたヨー」と泣くのです。実技の練習をするつど「オマエそんなんでよくマッサージ師になろうとしてるな」と言われ続けたと言います。何のことか詳しく聞いてみますと日本人の男性グループもこのワットポーにタイマッサージを習いに来ていたというのですが、このグループは鍼灸師の資格を持った、マッサージ師の現役だったわけです。
- 昨今、鍼灸治療院、整体院などで、ブームのタイマッサージをメニューに取り入れようということで結構タイマッサージ以外の手技療法の資格のある人達もタイマッサージを習っていると言うこともあるようなのですが、しかしあん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師と柔整師は専門学校で3年以上の専門教育を受けしかも国家資格試験を通った人達ですから、昨日までOLをやっていたような若い女の子がタイマッサージを覚えようと必死に練習していても歯がゆくて見ていられなかったのでしょう。
- 3年以上の専門教育を受け国家資格を取らないと仕事が出来ない鍼灸マッサージ師、片や100〜150時間の実技講習を受けただけで(もっと短いコースもある)お仕事が出来てしまうタイマッサージ。なぜこんなことが出来てしまうのでしょう?
- それは、調べてみると昭和35年の最高裁判決により、(法に基づかない医業類似行為でも)人の体に直ちに害をおよぼす恐れのある医業類似行為でない限り、職業選択の自由の範囲内で認められている。すなわちカイロプラクティク、整体、骨盤矯正、やタイマッサージなどのお仕事をすることが出来るようになったのです。
- タイ本場では2500年もの伝統と歴史があるタイマッサージが日本に来るとそれが「タイマッサージは素晴しいから行ってよい」ではなく、単に「職業の選択の自由があるから行ってよい」だけになってしまうのです。
- 日本に本格上陸して10年余、ブレークして6〜7年という我国では全く歴史の浅いタイマッサージですが,彼の国では2500年という気の遠くなるほど長い年月を、幾多の人々によって磨き抜かれてきた本物のマッサージです。これを「職業の選択の自由」と言うだけでかたずけるのは悲しすぎるし、もったいなさすぎる。
- どんな手技療法も同じでしょうが、施術者も俗に言う「なんちゃってセラピスト」から下手な鍼灸マッサージ師をもしのぐ「本格派」まで、技術とタイマッサージに取り組む姿勢にバラつきがあるのは事実です。そこで直ちに国家資格を、とはいいませんが、国家資格と同等の業界基準、業界内スタンダードと言うべきものを早々に作り上げるのも急務でしょうし、この由緒あるタイマッサージを風俗とコラボさせて間違ったタイマッサージに対する認識を世間に与えている一部業者への業界自浄作用も必要でしょう。それはタイマッサージと謳っていても、似て非なるものだからです。
- タイ国オーソリティーとの密なる一致協力態勢の基、我国に正しくタイマッサージを定着させることによって、国民の皆様の健康増進に寄与し、その結果としてタイマッサージへの更なるご理解とご支持を得るという、例えば施術を受ける時、健康保険を使えるようになると言ったような好循環を作り上げるのが当連盟の究極の目標であり、私自身の後半生を賭けたライフワークでもあります。
- 日本国民の皆様のタイマッサージへの正しい認識と、ご理解と、ご支持を切にお願いするものです。

北海道札幌市生まれ。明治学院大学法学部法律学科卒業。ゼミ:和田昌衛大学長(当時),卒論:フランス法制史の研究、学位:Bachelor of Law,サークル活動:体育会アーチェリー部渉外担当,文化部服飾研究会キャプテン、この頃VAN Jac.社長(当時)石津謙介氏の知遇を得る。全日本大学服飾研究連盟副会長、卒業後全農、その関連企業に永年勤務、主に機械プラントの輸出入を担当、アジア、欧州地区にて駐在員歴任、1984年バンコクにてタイマッサージと初めて出逢う。退社後自営して欧州より美容痩身機器の輸入販売並びに化粧品卸、下着のトータル美容エステティックサロンのチェーン展開。2005年7月21日タイマッサージクリニック「プーケの休日」創業、2007年3月6日当連盟の理事長に就任、現在に至る。家族5人。
@燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや。
A王侯,相将、何ぞ種あらんや。
B人に知られずして慍みず、また君子ならずや。
C労せずして得たものは、苦労して返さねばならぬ時が必ず来る。
D苦難も悲嘆も味わう心になれば、人生を豊かに過ごすことが出来る。
E成功の秘訣?成功するまでやめないことさ!
晋の公子、重耳(19年も諸国放浪したが立派に蘇った。)
長島巨人軍終身名誉監督(第一期監督の後、12年も下野したが立派に蘇った。)
司馬遷(宮刑に処せられた打撃にもめげず、初志貫徹して二千年後にまで読み継がれる書、史記を書き上げた。)
江川ひろし(元日本話し方センター所長。話し方が人生を変えるということをおしえられた。わが人生の師)
ハイキング、旅行(ここ10年は専ら中国の史跡めぐり)、読書(ジャンルは中国の古典、現代英米文学。好きな作家と作品:司馬遷(太史公書)、S.モーム(山荘にて)、スタインベック(怒りの葡萄)他。
エルビス・プレスリー(ファン歴15才から。勿論EPFC会員)
「カサブランカ」のハンフリー・ボガート
エルビスグッズ、ZIPPOコレクション(非喫煙者ですが…)

故江川ひろし師
故江川ひろしの日本話し方センターで「人前で上がらぬ法」講師歴4年。江川師最後の直弟子。江川師は普段は寡黙で小柄な印象なのだが一度講演のために舞台に立つや、大男に見える、小さな巨人であった。その上、聴衆がどれくらい居ようと師の口演にかかると、皆泣き、笑い、興奮するのだった。礼儀作法に大変厳しく、怖い人であったが、怖いけれどその人間的魅力で離れられないと言う、また魔力の人でもあった。江川師の薫陶を受けなければ私の後半生は又違ったものになっていたに違いない。ご子息も私と同窓と言うこともあってか、ずいぶんかわいがってくださった。 合掌
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